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コモンロー(判例法)から発達した米国法 ~米国における判例の重要性~

日米間で事業を行うにおいて、両国の法制度の根本的違いを理解しておくことは重要である。明治期に近代化された日本の法制度は、当時のドイツやフランスの「大陸法」という法体系を基にしているのに対し、米国の法制度は、中世期に英国で発達した「コモンロー」という法体系を基にしている。この法体系の根本的な相違は、契約の締結、法令の解釈、裁判所による判断の影響などあらゆる面で違いを呈している。そこで、今回は日本人に馴染みの薄いコモンローの起源、およびコモンローを基礎とする米国法について解説する。

<コモンローの歴史的背景>

コモンローは、中世のイングランドで始まった。11世紀の初頭、フランス北部のノルマン人が、それまで複数の領主により分割統治されていたイングランドを征服後、統一し封建制度を確立した。以来、ノルマン朝の数世代に亘る国王達は、国土全体に「コモンロー」と呼ばれる共通の慣習による法制度を広めるべく国王裁判所(コモンロー裁判所)を設立した。コモンロー裁判所は、成文化された法律ではなく、過去の判例に基づいて司法判断を行った。その後、コモンロー裁判所は、形式的な解決手段に偏りすぎ、正義や衡平を求める市民の要求を実現できないこともあったため、「エクイティ(衡平)」裁判所が設けられ、代わりの救済が得られるようになった。以降、従来からの「コモンロー」とそれを補完する「エクイティ」とが併存して発展し、19世紀に両裁判所を統合する改革を経て、現在に至っている。

米国は、18世紀、アメリカ東部にある13の植民地がイングランドから独立した際、建国に携わる多くの法律家がイングランドの法教育を受けていたことから、イングランドのコモンローを受け継いだ。

<不文法(判例法)と成文法(制定法)>

イングランドのコモンロー裁判所では、当事者が証人の前で主張立証をし、仲裁人である裁判官が慣習や先の裁判例に照らし合わせて判断する方式がとられていたことから、裁判所で確認された慣習法や蓄積された判例がコモンローの骨格を成す。これを継受する米国法も同様に、体系的に成文化されていない判例法を第一法源とした判例中心主義をとる。これは、体系的に成文化された制定法を第一法源とする大陸法とは大きく異なる。もっとも、米国に成文法が全くないわけではなく、連邦や州議会が立法した制定法も存在するが、あくまでも判例の隙間を埋めたり、多数の判例の整合性をとるために作られたものであり、判例を補完する役割を果たす規範に過ぎないとされている。

なお、米国は、不文法中心のコモンローを基礎とするといっても、史上初の成文憲法典であるアメリカ合衆国憲法を制定し、連邦制を採用することから、独自の法体系の発展を遂げている。

<判例による制定法の解釈>

米国の連邦や州、地方レベルの制定法や条例は、概ね判例を補充するために規定され決して体系的ではないため、前提となる判例を意識しながら制定法を解釈する必要がある。

<考察>

判例第一主義をとる米国では、自ずと裁判が増え、日々新たな判例が蓄積されていく。こうして判例法は、法体系の主軸を形成しつつも新たな裁判例を加えて進化している。従って、最新の法を理解するには、現行の制定法を確認するのでは足りず、最新の裁判例を常に把握することが重要である。

参考文献

樋口範雄 (2013)「はじめてのアメリカ法」有斐閣

The Robbins Collection, UC Berkeley School of Law “The Common Law and Civil Law Traditions” <https://www.law.berkeley.edu/library/robbins/CommonLawCivilLawTraditions.html>

本記事の内容は、一般的事実を述べているだけであり、特定の状況に対する法的アドバイスではなく、それを意図したものでもない。個々の状況に対しての法的アドバイスは、直接当事務所にご連絡頂くか、専門の弁護士にご相談されることをお勧めする。

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